落橋防止装置開発PROJECT

震災により倒れたり落橋した高速道路の写真。キャプション「1995年1月17日、阪神淡路大震災により、シバタの神戸支社は崩壊」「被害の大きさを後世に伝えるべく、若手社員たちは被災地をめぐり、被災状況を1ヶ月かけて記録した。」 「阪神大震災写真集 シバタ工業株式会社」の文字が入った写真集の表紙。キャプション「そうして集められた写真は冊子にまとめられ、各所に配布、図書館にも寄贈した。」

被災地から戻った若手社員を中心に、シバタ工業内では、地震対策に有効な製品がつくれないものかどうか検討が行われた。
日々流されるニュースでは、橋が落ちた高速道路で、橋の先端にバスがかろうじて止まっている様子や、高速道路の高架が倒壊したり大きな段差ができていたりという様子が報道されていた。

落ちた橋の写真。吹き出し「橋が落ちなければ救助用や復旧用の車が通れるのに…」

女性社員がつぶやいた。 それがきっかけになった。
いくつものアイデアが生まれ、その中からゴムの特徴である衝撃力緩和効果を利用した、落橋防止装置「緩衝チェーン」と「緩衝ピン」の開発を決定した。
しかし、道路や橋はシバタ工業にとって未知の分野。 知識もなく、用語すら分からなかった。

海洋分野の知識を活かし、驚異的な衝撃吸収力を実現。

大震災以前、橋の落下を防止するためには、金属の丸い棒(ピン)を金具で取り付ける形が一般的だった。
シバタ工業は、衝撃を吸収するために、ゴムと繊維を複合化させた緩衝材を金属の棒に巻くことにした。
一方、緩衝チェーンは、既に海洋分野で利用されていたゴムと、鋼製チェーンを複合化させたラバーチェイナーを用途転用することを思いつく。
衝撃を吸収することは実証済みだったため、イメージしやすかった。

橋の下に、チェーンとゴムを組み合わせた落橋防止装置「緩衝チェーン」が取り付けられている。キャプション「1996年、緩衝チェーン商品化」

しかし、緩衝ピンについては、壁が立ちはだかった。 当時は具体的な基準もなく、どのくらいのサイズのものを橋に取り付ければ、どのくらいの効果を発揮するのか分からなかったのだ。
そのため、シバタ工業は共同研究を行っている大学と連携し、大学教授の指導も受けながら、衝撃実験を行った。
20m程度の長さの橋で実際に使用する緩衝ピンを実験体として、壊れるまで衝突エネルギーを与えデータを取った。

試験機で試験を行う青い作業着の社員

結果、以前の金属の丸い棒に比べ、シバタ工業の緩衝ピンは、取り付け金具に与える衝撃を70%も低減できることが証明された。
つまり、金具が壊れて、橋が落ちる確率を格段に減らせるのだ。
1996年に開発がスタートした緩衝ピンは、1997年には製品化された。

性能が良い、だけでは売れなかった。
ニーズを捉えて改良し…

「性能は優れているのだけど…」 それが緩衝ピンに対する世間的な評価だった。
緩衝ピンを見た専門家は、シバタ工業が提案する緩衝ピンの用途やその取り付け方に、釈然としない様子だった。
そこでシバタ工業の技術者は、自ら、社外の官公庁や設計会社等へ飛び出した。

「どう使うべきなのか、教えてください」 さまざまな所で、その質問を投げかけた。
そして各方面から寄せられたニーズを積み重ねることで、"どう使ってもらうのがよいのか"が見えてきた。
もともと緩衝ピンは、落橋防止のためにつくった製品だった。
しかし、橋が地震の衝撃を受けた時、橋が落ちることを防ぐのも必要だが、その前に、橋が水平(横)方向に移動することを抑制させ、橋と橋をつなぎ合わせたところに段差ができることを防ぐことも必要だと知ったのだ。

"変位を制限する装置として利用したらどうだろう"
シバタ工業の技術者は、橋での取り付け方や取り付け位置を変え、新たな緩衝ピンとして製品を作り変えた。

そして2001年。 新しい緩衝ピンは、嘘のように売れ始めた。

橋に取り付けられた緩衝ピン

0から出発したプロジェクトは、
10億円規模のビジネスに。

知識もなく、用語すら分からないマニュアルのない世界に飛び込んだ。
落橋防止装置シリーズ商品化・販売プロジェクトの面々。
文字通り、それは0からの出発だった。
しかし現在では、緩衝ピンと緩衝チェーン、その他の関連商品を合わせて、10億円規模のビジネスに到達した。

今回のプロジェクトで、シバタ工業は、この分野の専門知識と鉄やコンクリートと材料の特性に関する知識を得た。
長く、海辺の安全を守ってきたシバタ工業が、道路の分野においても人や街を守るノウハウを手にしたのだ。